都住研ニュース

第22号 ●まちかどエッセイ(金沢のいらか甍)

 30年も前のことである。祝福されない結婚を2人で祝おうと、私たちは金沢へ3泊4日の旅行に出かけた。小さな車に荷物を一杯積み込み、宿の予約もとらずドライブがてらの旅に出た。当時京都と金沢の間には高速道路などなく、一車線の国道8号線が延々と続いている。その道をトラックとトラックの間に挟まれてとぼとぼと走るのである。私と彼女はノー天気な25歳で、片道10時間以上かかる道のりをものとはせず、初めて体験する周囲の光景を愉しみながら、場末のようなドライブインの食事を愉しみ、板のようなシートに揺られて快適に走った。京都を出発したのが午前8時で、金沢に到着したのが夜の8時頃だったかと思う。初めて泊まる場所だということで、当時の私としては大奮発で、金沢一のっぽビルのグランドホテルフロントに行き、直接空き室の確認をした。幸い最上階の部屋が空いており、私たちはくたくたになった体をようやくホテルのベットに沈めることができた。

 しかし、なぜかホテルの中で、2人は感情の行き違いで険悪な雰囲気になっていた。ドライブの途中にはなかった気分が2人に横溢していた。なぜ2人の感情が険悪になったのか今では思い出せないが、察するに行き当たりばったりの私の性格が、何か彼女を不快にさせたのだろうと思う。青年の頃の私は独りよがりで、独断専行し頑固で、感情の行き違いがあると相手を無視するという優しくない人だった。長いドライブの終着地点できっと私の気分は疲れていて、なにもかも煩わしくなり、同乗者を思いやる気持ちさえ欠けていたのだろう。その夜食事をしたのかしなかったのか。結局2人は空腹でベットに横たわることになった。深夜、何時頃だったか、私は空腹に目覚めてふと明かりの消えた暗い部屋から窓の外を見た。すると窓のそとにちらほらと白い影のようなざわめく気配がして、ベットから起きて窓際に近づくと、夜の薄墨の向こうに綿のような雪が乱舞するように吹き上がっていた。私はその有様に見とれていて気がつくと、雪の向こう、夜の向こう側になにか質量の違う黒い幾何学状に並んだ景色が目に入った。よく見てみるとそれは民家の屋根瓦で、視界の届く所までその光景は続いていた。
 グランドホテルの最上階から見渡した夜の底に金沢の民家の街並みが見え、屋根に雪が降り注いでいた。しかし雪は屋根に積もることなく、黒い光景のままだった。その景色が30年経った今も脳裏に浮かび上がる。新鮮な、鮮烈な印象だったのだろう。

 先日ある経済団体の集まりで長年サントリーの役員を勤めていた方が街の景観について話をされていた。その人は、街は軒が連なることにより美しく見えるという。北京の市街地を引き合いに、ビルの上に甍を被せるという規制をすることにより、上空から見た北京の景色が一際美しく見えたという話であった。京都はもう少し鳥瞰的な景観について考えれば良いのにという提案である。私はその話を聞きながら30年前金沢で見た夜の底に沈む音楽的な屋根瓦の連なりを思い浮かべ、京都で暮らしたいと思ったのはこの連なりの下を歩き続けたいと思ったからではないかと思い返した。
 十数年前、経済的に少し成功した私は京都的な場所に東京の原宿で見つけた白い陸屋根のビルに似せた本社ビルを建てた。建てるときから少し違和感があるなと思っていたが、バブル真っ盛りの頃である。気持ちが高揚して自分がなにかということがわからなかった。本社ビルは完成し、機能性は良く、デザイン的にも悪い建物ではないが、その建物を眺めるたび何時もなにか居心地の悪い思いでいる。私は様々な矛盾した生活を送っている人間であるが、本社ビルは私の不条理さを自分自身に突きつける建物としてこれからも暫くつき合って行かなければならない。(KAZU)

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