都住研ニュース

第48号 ●定例会ダイジェスト

 「今ある住まいを長く使う」。現在、国で進められる住宅政策の主要課題です。築年数を経た住まいは安全・安心、快適性の面で心配がある一方、長く存在し続けながら住まいは景観に馴染み、新築では得られない味わいを備えるものも少なくありません。  このような状況の中、建物の性能向上に留まらず、新しい価値を備えたリノベーション、用途を変えるコンバージョンの試みが全国で展開されています。そしてこのような物件は、高経年物件にアレルギーが無いとされる20代、30代を中心とした層に人気物件となってきています。  福岡市では、「ビンテージビル」という新たなブランディングの下、ユニークな発想と多様なコラボレーションによるリノベーション、コンバージョンが行われており、いわば「未来のビンテージビル創り」が活発です。高経年ビルのオーナーの発想の転換により生まれた新たなビジネス。この取組は建物だけで無くまちをも再生をさせています。  第53回定例会では、福岡のこれらの仕掛け人であり、担い手である吉原氏をお招きし事例を報告いただくと共に、吉原氏とともに京都の可能性について意見交換を行いました。

■第53回(平成24年8月11日)

 ビンテージビルが変える!夢ある賃貸とまちの価値 〜ビルオーナー+技術+アイデア+愛=まちの新たな拠点
 講師:吉原 勝己 氏((有)吉原住宅 代表取締役/(株)スペースRデザイン 代表取締役)

吉原 勝己 氏  私たちがやっていることは、賃貸住宅のオーナーが建物を扱うことを通じて、建物から様々なことを学んでいるということです。九州大学は京都大学の分校として始まったのですが、福岡の政財界が帝大を誘致するにあたり、そこにあった遊郭を移した場所と言われているのが私の生まれ育った「新柳町」(現、中央区清川)でした。昭和30年代に遊郭が売りに出されたとき、父が購入し旅館業を始め、私はそこで8家族と生活をしており、生まれながらにシェア生活をしていました。

■経営危機を感じて

 吉原住宅は老朽ビル4棟の大家なのですが、これはそのうちの一つ、築43年の山王マンションです(博多区)。コの字型の住棟配置です。父から会社を受け継いだときは築30年ほどでした。今でも共用部に洗濯物を干すような何だか懐かしい風景があります。
 ここはほとんど手入れされずにかなり傷んでいました。これにショックを受けて、何とかしたいと思いました。当時は父も元気が良かったので、父と喧嘩をしながら「改修に30万出すけん!」と手を加えました。しかし30万円ではさほど手を入れることはできず、入居者も付きませんでした。家賃を下げることも考えられますが、それでは生活保護の方が居着いてしまいます。実際、家賃の滞納も多く、毎日裁判所に行っては立ち退きの相談をする日々でした。
 売上の変化を示すグラフを見ると、賃貸は何もしないと築20年から40年にかけて売上がキレイに落ちる商売であることがお解りいただけると思います。2000年に妻と子を連れて会社を辞めて後を継ぎましたが、このままでは破産をしてしまう、と必死の経営を始めました。
 ビル運営は経費がかかります。今や普通の新築では(修繕積立まで考えると)長期の利益はほとんど出ません。しかし、古い建物では、工夫をすれば新築にできない経営できると感じています。「父よ、古い物件を残してくれてありがとう」とすら、今では感じています。
 福岡の賃貸分野の空室率は24%と言われてますが、私の感覚では30%近くあると感じています。福岡は日本で一番集合住宅に住んでいる人が多い地域です。しかも世界中のファンドから狙われ、どんどん集合住宅が供給され続けています。ただでさえ需給バランスが崩れている中新築が建つのですから賃貸オーナーとしては厳しいまちです。

■未来のビンテージビル

 私たちは、「未来のビンテージビルを創る」という理念で仕事をしています。自社物件を実験の場としてプロデュースし、他のオーナーの物件はビジネスとしてコンサルティングしながら、現在9棟の「未来のビンテージビル」を手がけています。
 私は製薬会社で開発をしていましたが、開発の実験で失敗することとは、人が死ぬことです。その経験から、吉原住宅でも「死なないように」実験をしてきました。2000年に大家として後を継ぎ、経営危機を感じて値下げやリフォームで失敗し、自らペンキ塗りを続けました。そしてペンキを塗りながら「何をしたら良いのか」と考えていました。
 2003年ようやく第一段階として、福岡初の賃貸リノベーション物件を手がけました。それまで、福岡にはリノベーションという言葉すらありませんでした。雑誌でアメリカの事例に学びながら、業者さんに「うちでこれやりたい」と声をかけて回りました。なかなか引き受けてもらえなかったのですが、一社だけお手伝いいただけました。1部屋に300万円かけたのですが、父からは「失敗したら、辞めろ」と言われながら、とても良い部屋を創ってもらいました。投資を回収するために新築並みに賃料が高くしたこともあり、入居まで時間がかかりましたが、幸いその期間に口コミで広がり「市場はあるんだ」という実感が生まれました。
 終わってみると自分の役割はなく「お願いするだけの大家」になる恐怖を感じました。そこで、自らプロデュースをする段階に入りました。2004年には珍しかったのか、NHKが取材に来たり、経済番組で30分放送されるなど、大変驚きました。そして「再生デザイナーズマンション(リノベーションでは通じないための造語)」として、話題が広がりました。
 第二段階として、工事監理ができる社員を入れました。2005年にSF映画をモチーフに部屋作りをしました。この物件が完成した時のオーラが忘れられません。現在2回入居者が入れ替わっていますが、そのオーラはまだ残っています。退去後も同じ家賃です。300万円投資して、5万円であった家賃を2万円アップして7万円にして、7年経過しています。
 賃貸募集では「ウェイティング制度」を導入しています。これまで作ってきた部屋(約100件)をカタログタイプのホームページにして、入居中でも空き待ちの受付をしています。人気物件では4,5人の入居待ち、というのもあります。私がプロデュースしてきたための、素人っぽさが良かったのかな、とも思っています。
 これまで改装した部屋は約150室ありますが、一つも同じ部屋はありません。リノベーションは、一部屋ずつが主役ではありますが、その建物も主役としてブランディングしないと意味がありません。それが「(リノベーションによる)ライフスタイル・デパートメント」です。ビルには物語があり、そのまちに存在する必然性があります。その物語を全て紹介するようにしています。そうすると、ビルやまちに興味を持った方が引っ越されてきます。近くの「金太郎飴的」な新築マンションに住んでいた人が、オリジナリティあるライフスタイルを見つけるために、越してこられます。

■リノベーションのパターン

会場の様子  私たちのリノベーションには、様々なパターンがあります。ゼロから創る「スケルトンリノベ」。そして現在の中心が「エコリノベーション」です。できるだけ費用をかけず、解体を控えて廃材を出さないものです。そこでは学生や主婦の方が素晴らしいデザインをされます。
 この写真の建物が旅館を建て替えた福岡初のしっかりと造られた民間公団賃貸物件で、私も家族と住んでいます。そこを当社の新入社員(女性)にお金をかけずに空間デザインをさせてみました。偶然の産物だったのですが、このように雰囲気を良くしたことで、家賃は15,000円アップです。価値あるリノベーションは、価値が認められる値段にすることが大事だと考えています。「チャレンジ価格」になってしまいますが、基本は新築以上とし、工事費用を踏まえて利回りを計算し家賃を出しています。
 これは築40年を超えた山王マンションのリノベーションの例です。既存の壁を活かして、デザインし、福岡の有名雑誌の表紙を飾りました。新高砂マンションではステンドグラスの先生にお願いし、自分の作品をうまく使った部屋ができました。TV取材に来た女子アナがそのまま借りられた部屋もあります。雑誌社のOLさんがデザインした物件も、すぐに借り手が付きました。学生チームを対象にしたリノベーション設計コンペで創った部屋も、すぐに借り手が付きます。このように、プロでない人が突然凄いものを生み出すという所に立ち会ってきました。それがリノベーションの魅力でもあります。そして、この動きは「セルフリノベーション」があたり前になる予兆ではないかと感じます。リノベーションはプロだけのものではなく、通常のライフスタイルに組み込まれることで「日本の住」がストック活用の思想で飛躍的に魅力ある世界に変わる時ではないでしょうか。

■社会的使命感から変化する経営理念

 井上ひさしの「ボローニャ紀行」には「規模を大きくしないのが経営者の方針。新しいことにどしどし挑戦するが、過去の蓄積を生かし、むやみに規模を広げない。建物も旧いものを壊さずに、現在の用途に合わせて都心を再生する。そうして、新たな価値を生み出しながら、地元の市民のために日常の流儀を豊かにしてゆく」という記述があります。規模を大きくせず、家族経営で世界を席巻している会社が北イタリアには多くあります。これからの中小企業、モノづくりもここに向かうのでは、と感じています。
 私は家族経営でしたので、当初は「そんな危ないことを…」と言われました。そこで、別会社「スペースRデザイン」を立ちあげ、リスクある外部物件も取り組むこととし、吉原住宅は元のオーナー業の立場に戻しました。さらに、NPOを立ち上げました。企業から情報を発信してもメディアはなかなか取り上げてくれませんが、NPOですとNHK・新聞でも取り上げてくれます。それが、市民に向けたビンテージビル文化啓発を行う「NPO法人福岡ビルストック研究会」で、その理事長をしています。スペースRはビジネスの場、吉原住宅は実験の場、NPOは発信の場として、役割を分けて取り組んでいます。これは、ライフサイエンスの分野で製薬会社?ビジネス、研究所?実験、学会?発信の三つの役割が、医学の急速な進展をうながしていることを感じて作ったしくみです。

■リノベーションミュージアム冷泉荘

リノベーションミュージアム冷泉荘  築54年のマンションでしたが、5年ほど前「事務所」として用途変更しました。現在ではクリエイターが18室に集まってつながりの中で活動をされています。このプロジェクトが始まる前は、すごく荒れた物件で、スラム化していました。ビル再生の取り組みを行い、現在では地元の文化人と言われる方も集まるビルになっています。ここでは、毎日入居者さんたちがイベントなどでストック文化が発信されており、福岡の文化的スポットとしてメディアで紹介される場所に変わりました。私たちのを理念を表現し発信するための建物です。
 ここは1千万円をかけて耐震補強工事をしました。現在のビルの売上は年間800万円、そして売上は上がり続けているので間もなく1000万円です。1年の家賃で建物を30年以上延命できたと言えます。補強がなければ、建替えで借金してまた新築から始めなければならないところを、これからも借入なしに売上が確保できます(容積率の低減で同じ建物は建てれません)。しかも、家賃は以前の1.7倍と上がり続けていますので古いビルを使い続けることは、経営的合理性があります。最近はシェアオフィスも創り、満室でお問い合わせがあっても断っている状況です。
 ちなみに、冷泉荘の管理人をしていた社員の山本君は、地元の筑豊に戻り廃校になった小学校を拠点にまちづくりの活動をおこないながら、とうとうまちの観光協会を立ち上げ事務局長として仕事を始めました。冷泉荘のマネジメントが、タウンマネジメントのトレーニングになったのかもしれません。レトロビルは人を育てる学校なのかもしれません。

■カスタムリノベーション

 これから入居しようとする人の意向を聞いて、床材やクロスなどを当社が相談に乗りながら選び、施工し、お金は入居者さんに払っていただきます。これを通じて、何年も借り手がいなかった部屋の借り手が見つかりますし、部屋に思い入れを持って頂くのでずっといてもらえる、というメリットがあります。このような取り組みを通じて、入居者さんが分譲マンション購入する際、管理会社の私たちがリノベーションをさせて頂く事例も出てきました。このように入居者さんと管理者の関係を変えたいと思っていますし、住まい方そのものが変わってきていると実感しています。
 空襲で焼け野原になった福岡・博多では戦後のビルがストック活用のための身近な地域資源です。子供たちがふるさとと思えるまちづくりのためにレトロビルを生かす活動を続けたいと思います。

平成の京町家モデル展示場がオープンしました! ●京都の住まい・まちづくり拝見!
PDF版

トップ > 都住研ニュース > 48号