都住研ニュース

第23号 ●まちかどエッセイ(飛騨古川町)

 1年に何回か家族で旅行をする。旅行の方法は、1ヶ月以上先の予定で、行く先は主に同居人が決めます。私には事前に日時と粗方行く場所が教えられていて、予定の前日くらいに彼女から資料を渡されます。そんな旅行の方法を15年も続けてきた。彼女は内心「旦那は旅行に関心がないのかしら」と思っているかも知れないが実は大ありなのです。関心はあるのだが日常の業務が忙しくて旅行のことを考える暇がありません。彼女は「家に帰れば2時間も3時間もぼやっとした時間があるじゃない」というのですが、実はぼやっとしているようでも頭の中は目まぐるしく働いているのです。仕事から遊び、遊びから仕事のスイッチが簡単に切り替えられない。家で彼女が話しかけても上の空で、よくそのことで怒られます。怒られるたび正気に戻って彼女や家族の話に意識を戻すのだが、気がついてみるとまた仕事のことを考えているのです。

 飛騨の古川町に行くという話が頭の中に飛び込んできたのは行く前日のことでした。以前泊まった下呂温泉の宿が飛び切りすばらしかったので、その宿に泊まるついでに近隣の古川町を訪ねようということになったらしい。私は下呂行きの話を聞いて真っ先に山腹に建てられた素晴らしく景観の良い宿を思い出し、またその旅館に泊まれるのかと喜んだのですが、今回はもう1人の同居人も付いてくるというので、費用を抑える為ツーランク下の旅館にしたそうです。「だから旅館を愉しむのはやめて」と事前にそういわれ内心(費用ならもう少し出してあげても良いのに)と思いながらも、この旅行に関しては自分には主張する権利もないのだと思い直し唯々諾々と従ったのでした。
 前日まで梅雨の空模様だったのが当日はからりと晴れて、常套句ですが恰好のドライブ日よりでした。現代の自動車旅行は楽です。ナビゲーションに行き先の電話番号を入力すると、それだけで連れていってくれるのですから。こんな機械に助けられてばかりいると人間の機能を使うことがないのでますます馬鹿になるのではないかと少し心細いのですが。
 何回かドライブインで体を休めながらナビゲーションが指し示すように走り続けると飛騨の古川町の入り口でした。と言ってもあまりにひなびたところなので何回も辺りを確認したのですが。
 行く途中素晴らしく木立の綺麗なドライブコースがあって「なんだなんだ」と騒いでいるとそれは岐阜県が誇る?「せせらぎ道路」と名付けられた道でした。こんな清らかな精神の飛沫のようなものを感じさせる景観は北海道以外見たことがありません。古川町は小さな街で、もしナビゲーションを使っていなければ行き過ぎたかもしれません。漠然と見ていると只の田舎町に見えるのです。(古川町は田舎町に違いはありませんが)近くに古川町に比べたら大きな街の高山があり、この街が観光誘致に成功したので、それならば「おらが町も」ということになったのでしょうね。高山は15年ほど前子連れで物見遊山に行ったのですが、その時の印象が良くてもう一度行きたいと思っていました。今回古川町を見た帰りに寄ったのですが、あまりに観光化されすぎていて15年前のあの清らかな印象はなんだったのだろうと我と我が脳裏の印象を疑りました。それに比べて古川町は放っておけば朽ち果てるような古い木造の街並みをなんとかお色直しをして人前に出したばかりの初々しさがありました。町全体が観光ずれしていなくて、町に暮らす人の素朴な感性が残っているのです。古川町も後10年も放っておけばありふれた町に成り下がるところでした。町おこしで皆さんが努力されたのでしょうね。至る所に努力の跡が伺えるのです。帰途、奇しくも同居人が発した言葉が印象的です。「高山は駄目だわ」観光ずれしている観光客は媚びを作りすぎる街に魅力を感じなくなります。このところが街づくりの難しいところですね。(KAZU)

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